カテゴリー 好きなもの

Bamboleo

令和3年1月27日
表題(バンボレオ)はジプシーキングの曲であるが、初めて聴いたのはフリオ・イグレシアスがカバーしたものであった。約30年前、モロッコで世界内分泌の学会があり発表したついでに、スペイン・ポルトガルを旅したことがあったが、その時のツアーバスの運転手がずっとフリオの曲を流していてアンダルシア地方の風景とぴったり合って実に快かったのを思い出す。特にバンボレオは何度聞いてもぞくぞくするような素晴らしさで、ポルトガル人の運転手に感動を伝えるとカセットをくれたのだった。
その後、マイライフ~グレイテストヒッツという2枚組のCDを手に入れて何度も聞いているが、フリオの歌唱力は最高である。フリオはレアル・マドリードのゴールキーパーだったが交通事故で瀕死の重傷を負い、療養中に医師である父親のアシスタントからプレゼントされたギターで作った曲が歌謡祭で優勝した。法律の学位を取得すると同時にミリオンセラーを連発するトップスターとなった。全世界のレコード・CDの売り上げは3億枚を超え世界のベストテンに入っている。
フリオの声は暖かく情熱的で快い。ポルトガル人の運転手も大ファンだったようで、フリオの歌をほめられたのが本当にうれしかったのだと思う。いいものに出合うのは素晴らしいことである。

ポケモンGO

令和3年1月13日
昨年、娘が里帰りしているときに教わったポケモンを今もやっている。初めは適当にやっていたのだが、数か月後いろいろ教わって面白くなって結構やるようになってしまった。特に今はコロナで行動が制限されているので、する時間がとれるし散歩のときにもいい。去年の4月から始めて今レベル36である。このゲームはGoogleの社内で作られ、今はNIANTICという社名で独立しているようだがGoogleの位置情報を使った優れものである。カーナビより正確で細かいのがすごいところで、道に迷ってもポケモンの画面を出せば、自分の居る位置が正確にわかる。カーナビには載っていない道まである。散歩していると、ジムの近くに車を停めて中でポケモンの画面を出している人を結構見かける。
ポケモンを集めて強くして他のトレーナーのポケモンと競わせたり、ジムに出てくるポケモンを手に入れてレベルを上げるゲームだが、簡単なようで奥が深い。ヒマなときには時間つぶしになるし、やっただけレベルが上がるところが世界中に愛好者を増やしている理由なのだろう。

「氷心」

令和2年10月9日
表題は盛唐の詩人王昌齢の七言絶句の末尾にある言葉で、ひとかけらの氷のように澄みきった心という意味であるが、人と接する時には思い込みや偏見を持たずありのままの人となりを見るようにすれば世界が変わっていくだろう、という文章を読んで「これだ」と思ったことである。どうしても自分の目から見た偏見が入って、その人物を正しく判断してないことを反省することがちょくちょくあったからである。なるほどそういう目で他人を見ると少しずつ世界が変わっていくように感じた。
中国にはかつては素晴らしい人物がいて、今でも読まれている詩などの文化があった。漢詩の簡潔な表現が好きで、漢文の授業は音楽の次に好きだったが、遠い地に赴任して行く友を送る詩はことにいい。「氷心」の言葉のある詩も王昌齢が江寧(コウネイ:いまの南京)の副知事をしていた時、洛陽に旅立つ親友:辛漸への送別として作った詩
「芙蓉楼送辛漸(ふようろうにてしんぜんをおくる)」である。

寒雨連江夜入呉
寒雨(カンウ) 江(コウ)に連(つらな)って  夜 呉に入る。
冷たい雨が揚子江に降り続く中を、昨夜君を送って呉の地までやってきた
平明送客楚山孤
平明(ヘイメイ) 客を送れば  楚山(ソザン) 孤(コ)なり。
夜明け方、君を送れば、行く手に楚山が一つさびしく聳(そび)え立つ
洛陽親友如相問
洛陽(ラクヨウ)の 親友(シンユウ)  如(も)し 相(あひ)問(と)はば、
洛陽の親友たちが、もし私のことをたずねたら、
一片氷心在玉壺
一片の 氷心  玉壺(ギョクコ)に 在(あ)りと。
玉の壺に盛られた氷のように清らかな心、とそう答えてくれたまえ。

フルートの練習

令和2年2月7日
最近フルートにはまっている。練習する時間がなかなか取れないのが難点であるが、少しでもヒマがあれば吹くようにしている。今は高音域の練習をしているが、指使いを覚えるのが大変で、さらに音楽にするにはどれだけの修練が必要だろうか。それでも少しずつでも進んでいるという手ごたえが快く、練習していても飽きない。小学時代のリコーダー、中学時代のギター、いずれもすぐにものにして飽きなかったがフルートもそうなってほしいと思う。
大学では軽音楽部に入ってフルートを吹こうと思っていたのだが、部室にいつ行っても誰もいない。きっと活動していないのだと思って友人のいた男声合唱団へ参加することになった。それはそれで面白かったし、いまだに合唱曲を聴いているが、フルートをやってみたいという思いはずっと胸の底にあったのだろう。五十の手習いで尺八をやってみたが、結局ものにならなかったのは残念であるけれど、遅ればせながらフルートを始めてよかったと思っている。

フルートの演奏会

令和2年1月24日
エリザベト音楽大学のセシリアホールでフルートの演奏会があった。フルートの演奏会に行くのは初めてである。広島を中心に活躍している16人のフルート奏者(主に女性)が中心になって演奏会を開いていることを初めて知ったのだが、今回はゲストにNHK交響楽団の首席フルート奏者で桐朋学園大学教授の神田寛明氏を招いての演奏会であった。
初めて聴いたがフルートだけでこれほど素晴らしい音を作り出すことができることに驚いた。圧巻は神田寛明氏のミニリサイタルで、一音もゆるがせにせずそれでいて流れるような演奏はただただ聞き入るのみだった。パガニーニの「カプリス第24番」は重音を駆使しての超絶技巧的な曲で、フルートで重音を使うことを初めて知った。最後のステージは16人のフルーティストと神田氏のコラボでグリーグの「ペール・ギュント第1組曲」、この曲は中学校の音楽の授業でレコード鑑賞で聴いたのが初めてで、好きな曲であったがフルートだけで(ピッコロ、バスフルートも含む)オーケストラに匹敵するような演奏ができることに感銘した。ソルヴェイグの歌のソロメロディを神田氏が吹くのを聴いていると、自分はこの歌が好きだったことを思い出して感慨深いものがあった。いい演奏会だった。

師匠の演奏会

令和元年12月20日
尺八の師匠のコンサートが平日の夜、東区民文化センターで行われた。個人コンサートは10年ぶりだそうで、古希の節目に今まで交流のあった人達に感謝の気持ちを込めてとのことで入場無料で行われた。自分は夏にめまいを起こして以来、尺八は一切吹いていないが師匠のコンサートには行かせていただいた。200人近い人で会場はほぼ満席、途中で退席する人もなく初めから終わりまで静かに耳を傾けている人がほとんどだった。師匠の人がらと尺八の音色にひかれて集まっている人ばかりのように思われた。久しぶりに聴く尺八の音は実に快く、こういう音を出せるなら尺八を再開してもいいかと思うのだが、10年以上頑張ったけれど自分には無理だと確信してしまったので、もっぱら聞くだけにするつもりである。
それにしても音楽は本当にいいものだと改めて思った。自分の中での音楽史を振り返ってみても、「こんなすごい音楽があるのか」と思ってのめり込むことが何度もあり、それは自分の記憶のなかに順を追って収まっている。そしてこれからもそのような感動が何度あるかわからないが、是非あってほしいと思う。

「かぜうどん」

令和元年10月4日
現存している桂枝雀のCD,DVDの中で一番気にいっているものを選ぶとしたら、平成9年9月に姫路市民会館で演じた「かぜうどん」は外せない。枝雀の「まくら」はユニークで面白いのだが、この時は低い調子で物売りの声などを披露して次第に本題の屋台のうどん屋に話を持って行き、屋台を担いで寒い夜に街なかでうどんを売って歩く情景を描写する。酔っぱらいとうどん屋の掛け合いも面白いが、ばくちを打っている連中に気にいられてたくさんのうどんが売れる様子もいい。最後に風邪をひいている客がうまそうにうどんをすすり食べ終わるまでの情景がじつに見事で、思わずうどんが食べたくなる。サゲのあと観客が立ち上がって帰りかける時のざわざわしたなかに、「〇〇ちゃん、帰りにおうどん食べに行こ」というおばちゃんの声が入っているところがいい。うどんが食べたくなった客が多かったのではないだろうか。
枝雀の落語では「代書屋」「蔵丁稚」「不動坊」「寝床」「住吉籠」「煮売屋」「愛宕山」などどれも外せない面白さがあるが、「三十石夢の通い路」は格別な味がある。50代の後半になり芸に一層凄みが出てきた枝雀が59歳で亡くなったのは返す返すも残念なことである。もっと聞きたかった。

虹の彼方に

令和元年9月27日
上達する見込みのない尺八は一旦中断し、性懲りもなくフルートを始めた。フルートは高校時代に音楽部の後輩に借りて吹いたことがあったが、精巧なメカニズムに圧倒されたけれど音は出しやすいと思った。大学に入った時には軽音楽部に入ってフルートを吹こうと思っていて、軽音楽部の部室をのぞいてみたけれどいつ部室に行っても誰もいない。仕方なく友人のいた男声合唱団に入ったが、ここで歌のうまい先輩の歌う「Over the rainbow」を初めて聞いていい歌だなと思った。合唱団でも歌ったが、それでこの曲が1939年のミュージカル映画「オズの魔法使い」の劇中歌だと知った次第である。
フルートの課題曲にこの曲があり、久しぶりに吹いてみたらはるか昔、多感な時代を思い出して音楽はいいものだと改めて思った。歌詞は、虹の彼方に望みのかなう素晴らしいところがあるというほどのことだが、桂枝雀の創作落語「山のあなた」と共通のところがあり、洋の東西を問わず人の考えることは同じなのだと納得。「山のあなた」はドイツの詩人カール・ブッセの詩を上田敏が日本語に訳して詩集「海潮音」に載せて有名になったのである。

山のあなたの空遠く 「幸い」住むとひとのいふ
噫われひとと尋めゆきて 涙さしぐみかへりきぬ
山のあなたになほ遠く 「幸い」住むとひとのいふ

枝雀十八番

平成31年4月12日
最近、しばらく遠ざかっていた桂枝雀の落語にはまっている。前にはまった時にそろえたDVD、CDがごっそりあるが、その中で表題の9枚組のDVDをあらためて見ていると実に面白い。これは枝雀の人気が絶頂を迎える頃の映像で、18話の落語を収録していて他のCDとかぶる内容もあるのだけれどユニークなのは、落語作家の小佐田定雄氏が枝雀の弟子と共に映像を見ながらおしゃべりしているバージョンがあることだ。小佐田氏はずっと上方落語に寄り添って生きてきた人で、枝雀のファンであり新作落語を提供したりで深くかかわってきただけに、弟子と共にいろいろなエピソードを紹介しているのが面白く、枝雀がいっそう身近に感じられる。
桂枝雀の落語のCD・DVDが氏の死後20年以上経つのにいまだに売れ続けているのは、すごいことである。上方古典落語を極めた氏の話芸は他の追随を許さないほどで、何度聞いても隅々まで気を配って作り上げた話には飽きが来ない。晩年近くになると一層凄みを増していて、鬱病さえなければ今も我々を楽しませてくれているに違いない。残念である。

向き不向き

平成31年2月7日(木)
何事にも向き不向きはある。スポーツでいえば概して運動神経のいい人はなんでもうまくできるけれど、どうしても苦手な分野もあるだろう。ボクシングでは国体に出られるくらいの能力があるのにゴルフは苦手な友人もいたし、他のスポーツはあまりできないのにゴルフはうまい人もいる。学問についても理数系は抜群でも人文系は苦手な人もいるしその逆もある。
楽器の演奏でも向き不向きは当然あるだろう。下手な尺八を吹いているが一向に納得する音が出ない。他の楽器はどれもこんなにとっつきにくいことはなかった。でも始めたからには「石の上にも三年」なのでもう少し頑張ろうと思いながらやってきたが、なかなか上達しない。向き不向きのせいにしたくないので努力してきたけれど最近、自分はこの楽器に向いてないのではと思い始めていることに驚いている。楽しむために始めた楽器であるが、楽しめないのは努力不足なのか向いていないのか。